”マーシャルアート”という分野において数十年に渡り、稽古・研究・指導活動を重ねられてきたバートン・リチャードソン先生と光岡英稔先生。この世界を全く異なる経歴、道筋を歩まれてきた、長年の友人でもある二人の武術家・武術研究者による対談、その内容を4回に渡る連載でお送りします。
第2回となる今回は、前回の連載「001|言語、文化、マーシャルアートの交差点」の流れから、『箱=box』をテーマに進んでいきます。自らの基礎、ベース、”枠組み”としての『箱』、それを自身の内に獲得していくために2人の武術家・武術研究者がどのような道筋を歩んできたのか、そして、その『箱』の外側に出るということはどういうことなのか、ダイアローグは続いていきます…。
光岡:昨日お話した「箱」の話しですが、自身が収まっている箱の外で思考するためには「何の外で?」という意味で、そもそも「箱」の存在が必要になるわけです。けれど、現代人の多くは、その「箱」をもっていないのに観念的に箱の外に出て何かをしようといている、というのが現在起こっていることなのではないかと思います。「箱の外で思考しよう= “think outside the box.”」と試みようとする人達はたくさんいますが、自身がそもそも何の箱、何の枠組みの内にいて、その外で思考しようとしているのか、実体を掴めていないということが往々にしてあるのではないかと思うのです。
バートン:それは非常に的を射た指摘ですね。
光岡:こういうことは世界中で起こっていると思います。例えば、イノベーティブなことをしたいと思っていながら、それに取り組んでいくための基礎・ベースがない。例えば、バートンの場合は、非常にしっかりとした武術的基礎や文化学習の基礎があるわけです。それは、自身がいつでもそこに戻っていけるような場所でもあるわけで、気持ちが散ったり、迷ったりしても戻って来れるホームグランドになっている。何か迷いそうになった時は、自身の方向性を見つめ直す場所として、そういう領域が活きてくるわけです。
バートン: これは自身にとっても非常に面白いことなのですが、マーシャルアートにおける有効性・有用性というものに対する自分の「見る目」に大きな影響したこととして、少なくとも二つの分野の影響があるんです。一つはアスリートとしての経験、そしてもう一つはサイエンスにおけるバックグラウンドです。私は練習において科学的な方法というものを採用しています。例えば、物事を検証する方法を考え、それを元に実際にやってみる…ということですね。何年か前のことなのですが、ダン・イノサント1先生を訪ねたことがあり、二人でなんとなく話をしている時間がありました。イノサント先生は昔、アスリートとしても優秀な方でした。アメリカンフットボールをされていて、スプリンターだったんです。身長は168cm程で、体格的にそれほど大きい人ではありませんが、小柄ながらに逞しく、アメリカンフットボールで10本の指に入るスプリンターに選ばれたこともあります。そんな、小柄なフィリピン系アメリカ人の方が、トップ10スプリンターだったんですよ。いかに足が速く、俊敏だったかがわかります。ちなみに、そんなイノサント先生がブルース・リーは自分より遥かに速かったと言っているのですから、いったいどれほどのものだったのだろうと思います…。話は戻りますが、その時イノサント先生が私に話していたのは、武術界などでよく言われる「この技はいつ、どのタイミングでも使える」というような文言についてでした。もし、単に技術を知っていて、それをデモンストレーション的に見せるのであれば、確かにそれはいつでも成立します。なぜその時、その話をイノサント先生をされたかというと、それは私が「アスリート(競技者)」であることをわかっていたからなんです。どういうことかというと、相手が自分の行うことを制限してくる状況下では、常に通用するものなどないということを、強調されていたのですね。スポーツやマーシャルアートにおいてもそうですが、常に通用するものなどは存在しない。ただ、その時々、適材適所、することをするだけだということです。私はそのことについては全く同感で、自身のアスリートとしての経験からも非常に納得のいくお話でした。先ほどの「箱」「枠組み」の話で言えば、そのように物事を捉える競技者としての経験もベースとして自身が持っている「箱」「枠組み」になっていると思います。
バートン・リチャードソン先生(左)と、その師匠であるダン・イノサント師(右)
光岡:バートンが深く取り組んだスポーツは確か野球でしたよね?以前に、何かのお礼に「これが僕の武術を最も影響している本の一冊なんです。」と野球の本をいただき「えっ、野球の本!?」と驚きました。その時にバートン自身の武術を見る目や分析する方法に大きな影響を与えたと言っていたことを思い出します。
バートン: そうですね。ベースボールはコアでしたね。それ以外にもバスケットボールやフットボールもやっていましたし、そのそれぞれの試合経験もありました。けれども、ベースボールが最も力を入れて取り組んでいたスポーツです。大学はアメリカでも有数のベースボール強豪校でもあった、南カルフォルニア大学に通い、プレイしていました。ちなみに、同期のチームメイトには後に名プレーヤーとなる選手が2人いたんです。ただ、実を言うとベースボールに対する興味は年を重ねるにつれて薄れていき、その頃にはそこまで楽しんで取り組んではいなかったんです。ただ続けているという感じでした。続けていたのは、父が選手になって欲しいと期待していたこともあると思います。ただ、非常に熱心に取り組んでいたことは事実です。高校1年生、16歳くらいのことだったかと思いますが、バッターとして学んだ価値のある教訓が一つあります。その頃の自分は優秀というわけではない、平均的なバッターだったのですが、その年のシーズンが終わった後、もっと上手くなりたいと心に決めたんですね。そこで、2つのことを始めました。一つは走ること、そしてもう一つは、学校に毎日行き、バッティングティーにボールをテープで固定して、それをフェンスに向かって打つ練習を最低でも1時間やること。ただただ球を打ち続けてその感覚を掴むこと、それを何千回と繰り返すんですね。そしてその翌年、次のシーズンが始まる頃には、今言ったルーティンを6、7ヶ月は続けていたと思いますが、その年の高校リーグのベストヒッターになりました。ただ一人で練習をひたすら繰り返し、続けていただけなのですが、自身のバットのストロークがよくなっていくのを感じていました。この同じことを継続し、誠実やり続けるという、自身の価値観や行動規範も、後のマーシャルアートの稽古や修練に引き継がれています。
面白かったのは当時、カリ・アカデミー2のダン・イノサント先生やリチャード・バステロ3師父の元で稽古を始めたての頃のことだったのですが、毎週土曜日に自由練習の時間があり、その時間帯は生徒が集まって、思い思いにいろんな練習をやっていました。イノサント先生も普段その時間にいらっしゃっていました。ある日、それまでキックの練習をしたことがなかったので、フックキックの練習をしたいと思ったんです。動きをやってみると全然ダメだったので、サンドバッグの前に行って、バッティングティーに向かってボールを打ち続けた時のように同じキックの練習をしていました。気がつくと同じキックの練習を1時間くらいしていたのですが、練習の後、先輩の一人が自分のところに来てこう言ったんです。「そんな風に熱心練習を続けていたら、絶対上達するよ」と。その時はちょっと驚いて、咄嗟にその人に「ありがとう」とお礼を言ったんですが、内心で「え?こういう練習って皆しているものじゃないの?」と思っていたんです(笑)。
光岡:「普通のことじゃないの?」という感覚だったんですね(笑)。
バートン:はい。そして、多くの人にとっては普通のことではないというのがその時分かったことでした(笑)。私は日本の武術について素晴らしいと思っていることがたくさんありますが、その中に、もし上達を目指すならば、「自覚的な反復練習」、つまり単なる反復ではなくて、同じ動作や課題を繰り返す中で毎回の違いや改善点を観察し、学びを深めていくこと、あるいは「技量を磨いていこうと思うなら、時間をかけて稽古を重ねていく忍耐力が必要である」といったことが重要であるという理解が共有されていることがあると思っています。
光岡:日本武術やその文化性には確かにそういう側面があると言えるかもしれませんが、私はそれを「諸刃の剣」であるとも思っています。確かに、基礎というものは、稽古を始める正に初めての日から死ぬまで重要だという理解が共有されており、基礎がなければどうしようもないわけです。そして、これがこれまで話をしてきた基礎としての「箱」、「枠組み」を築いていくことの話にも関係してくるわけですが、とにかく基礎を獲得するためには何年もの時間がかかります。けれど、同時にこのプロセスというのは多くの人々にとって退屈なプロセスだと感じてしまうことが多いです。新しい技だったり、真新しい動きだったり、内容だったり、多くの人は何かしら新しいものを知りたいという気持ちになってくる。ただ、ここで言う基礎というのは、そういう表面的なものではなくこれから先10年、20年、何十年というスパンで自身の稽古を手助けしてくれるものになるわけで、それを分かっているからこそ、指導者側はそのことを生徒に伝えたいと思うわけですね。
バートン: それは極めて重要なポイントだと思います。その点について、自身の経験として言いたいことがあります。優秀な指導者というのは基礎の価値というものを理解した上で「これから非常に退屈な内容を稽古をしますが、これはこれから先その取り組みが報われる内容になりますし、あなたの人生のあらゆるものごとに影響を及ぼすことでしょう」と伝えるわけです。そして実際やってみると、教わる側にとっては非常に地味で退屈に映る内容なんですね。時々「どのようにあなたはそこまでの技量を身につけたのでしょうか?」と人から聞かれることがあります。もちろん、自分にとってそれは今も続いている長い道のりであるわけですが、私の答えは次のようなものになります。「何らかの理由で、私には同じことを繰り返し、繰り返し行い、かつそのことに飽きることがない…そういう能力があるからです」と。
光岡:非常にわかります。
バートン:反復すること、その中に楽しみを見出すこともできます。
光岡:それは、バートンのセンスでもあると思います。それは、物事を感覚したり受け取ることに関する、ある種の感性や才能と言えるかもしれません。先ほど「諸刃の剣」と言ったのは、まさにそのことで、多くの人にとっては、同じことを繰り返し行うことは、それが「労働」に感じられるようなマインドセットに陥ってしまうことに繋がるんですね。それは、やりたくない仕事をするような気持ちのようなものです。一方で、これまでに多くの武術家、武道家、格闘家の方々を見てきて気がついたことがあります。例えば、中井祐樹4先生は「それがどんなに大変なことであろうと、やると決めたのは自身の選択であり、やるのは自分であり、それをするのが好きでやっており、一回一回の稽古の中で常に新しいことを発見しようと努めている」ということを言っていました。
中井祐樹先生と光岡先生、バートン先生
また、甲野善紀5先生も手裏剣を何時間も打っていたり、剣術の同じ動きを何時間も繰り返しながら「毎回、同じ動きのはずなのに違う新たな感覚的発見があるから止められなくなる」「手裏剣が的に刺さる時に自分の心境と感覚が常に手裏剣のはなれと軌道と刺さり具合に影響するので何時間もツイ稽古してしまうんです」と仰ってます。「何故、こんな感覚がする?」「この感覚の意味はなんなのだろうか?」…そういうふうに常に探求し続けることがなければ、稽古が情報や知識としては知っている同じことの単なる反復になってしまい自分で自分の行いを退屈にしてしまいます。そのような労働に感じてしまうようになってしまったら、地獄ですよ。そういう意味でバートンは中井先生や甲野先生と同じく、ある種の天才的なセンスを持っていると思いました。それはギフトでもあるとも言えますし、持って生まれたものなのかもしれないし、小さい頃からの経験を通じて後天的に獲得したものかもしれない。私自身にもそういうところがあって、何故かはわからないけれど、あることを繰り返し行い、その度に新しいことを発見することができる。ただ、多くの人にとってはこれが難しいことのようです。そういう人と何が違うんだろうということを考えていた時、そこに「知識・情報として知っている事を繰り返す労働・労苦として取り組んでしまう感性」が見えてきたんです。
甲野善紀先生と光岡先生、バートン先生
バートン:なるほど。それは言ってみれば、「あることができること、取り組めることを光栄に思います」というような気持ちではなく、やりたくないことを「しなければならない、やらなければいけない」というような義務を強いるような感じでしょうか。一つ一つの動きを自覚的に注意深く反復して練習することが鍵になるのですから、そのためにはこの瞬間に存在しているという感覚が重要になると思います。自分の経験にはなりますが、フィリピン武術の稽古などで行う「右手でアングルNo.1の角度を切る」という動作を繰り返して練習している時、スティックを持つ右手の小指が緊張することで、振りおろす一連の動作の中でスティックと身体とが適切に揃ってくることに気がついたことがあります。それまでは気がついていませんでしたが、威力のある、正確な一打を行うために非常に重要なポイントでした。どんなこともそうだと思うのですが「この瞬間に存在している」という感覚なり、考え方を持っていることが大事なのではないかと思います。先ほどの例で言えば「アングルNo.1の角度への打ち込みを100回やってみよう」という考え方から取り組むのではなく、先ず自分が「今どこの、どの瞬間にいるのか」ということを十全に捉えてみようとする。例えば、今日と言う日は2025年の12月12日、自身の生涯で唯一の2025年の12月12日という日ということが分かると、その唯一性というものを1時間、1分、1秒、この一瞬…の内に捉えていくことができるようになる。そうすると、このアングルNo.1という一つの動きをすることについて、人生でこの瞬間だけの「一回性」が生まれ、そこから何かを学ぶということができるようになってくる。結果として、ある理解に至るまでには400回の回数が必要になるかもしれないけれど、どの1回の動きも、その人にとって有意義なものになってくるはずだと思うのです。
光岡:そういうふうに感じることができれば、退屈するということがなくなりますね。私は同じ空手の型を何年、何十年も続けてきて、今でもやっています。他にも例えば、日本剣術は動きだけ見れば、非常にシンプルです。正確に言えば、シンプルではなく、「高度に洗練されている」から結果としてシンプルになるのですね。見た目として派手ではありませんが、この繊細さ、僅かな違いの中のどこにより本質的な答えがあるのだろうといつも考えながら取り組んでいます。
こういうことを考えるのは、若い頃の組手、乱取りやスパーリングの経験もあると思います。私が空手に打ち込んでいた頃、17歳の頃だったのですが、道場で練習をしていて、起こることが全て見えるような感覚になったことがあり、先生も含め道場の誰もが私に勝てなくなったことを覚えています。その前にも日本武道館でのことだったと思いますが、高校一年生の時に私が所属していた空手団体の全日本選手権が日本武道館であり、高校の部で準優勝したんです。普通上位に入賞をするには何年か時間がかかり、高三でないと難しいと言われていたのですが、自分は高校一年生の時に日本武道館の真ん中に立ち、組手で成績を残すことができたんです。ただ、正直なことを言うとその時にはもう競技空手に対する興味を少しずつ失っていたところがありました。もちろん、大会や競技の楽しさや難しさというものはありましたが、空手を通じて相手と対面しているときに「もしこの人が柔道家やレスラー、剣道家、剣術家だったらどうなるだろう?」という、そういう想定をするマインドセットを持ってしまっていたんですね。
バートン:それはすごいことです。
光岡:なので、そういう想定から空手だけでは十分ではないなと思うようになっていました。何か、別のものも見つけないといけない…。それで、別のことも探し始めるのです。ただ、空手に一つの区切りをつけたいという気持ちもあり、高校生の間に何か実績を残し、やめるまでに三段を取得して一区切りにしようと思っていました。
バートン:Wow!
光岡:それで初年度に順位としては準優勝二位の成績を残すわけですが…その時の決勝戦での主な敗因は過剰な接触で反則を取ってしまったことなんです。
バートン:試合内容そのものは有利だったんですね。
光岡:でも試合として公平な視点から振り返ると、彼が得点を取り、私が取り返し…最終的には自身の反則による減点で負けてしまったわけですので、競技のルール上、負けは負けです。全日本大会の決勝まで行き、日本武道館の真ん中で戦った訳ですが、たくさんのスポットライトが自分に当たり、高揚したし、緊張と楽しさもありました。後になって、この時の自分が負けてしまった理由はなんだろうと考えた時、もし自分が本当に競技空手が好きで、「一生涯を通じてこの競技空手の稽古していたきい!」という程の情熱を持てていたら、あの試合に勝てたかもしれないと思うことがあります。ただ、先程も言ったようにこの時点で自分は競技空手そのもの、競技空手「だけ」に取り組むことに限界や疑念を自分なりに感じてしまっていました。相手の選手は本当に空手一筋というような方だったと思います。一心に空手に打ち込み、脇見を振らないような人だったと思います。彼はそれだけに打ち込んでいた、自分はその頃には大東流合気柔術や居合剣術、他の日本の伝統武道の稽古もするようになっていて、空手だけに打ち込んでいるわけではなかったのですね。
バートン: 面白いですね。その僅かな違いが差を生む。それでも決勝リーグまでは進まれたわけですよね。全日本大会という規模の大会に出場するのは、どのくらい難しいものなのでしょうか?
光岡:まずは、地区大会がありそこで優勝か準優勝をして、出場権を得て、夏に全日本大会に臨むという形でした。各都道府県から2~3名は出場していたので出場者数は100人は超えていたと思います。階級は全て無差別級でした。そういう意味で競争率は激しかったです。ただ、試合において、そのレベルまで年数をかけずに臨むことができた理由として、例えばスパーリングなどをしていてある状態に入ると相手の動きが全て見えるような状態にその頃になっていたことがあるんです。同時期は既に、自分を指導してくれていた先生にも負けることがなかったですが、それは相手が実際に動く前にどう動くか、というのが見えていたからなんですね。なんというか、相手は速く動こうとするのだけれど、「自分の方は相手が速く動こうとするのはわかっているけど、スローモーションのよう遅く見えてしまう」ということが組手の時にありました。
バートン: なるほど。わかります。非常に面白いです。つまり、一種の「ゾーン」に入っていたんですね。話を野球に少し戻したいのですが、野球史において偉大な選手の1人にテッド・ウィリアムス6という人物がいます。テッド・ウィリアムスは試合中タイムオフとたまに取り、またプレイに戻ってくるということを行っていたのですが、それについて彼が残している言葉があるんです。彼によるとタイムオフをとって、また試合に戻ってきてバッターボックスに立つと相手投手の投げる球がカボチャサイズに大きく見えるように感じるのだそうです。なので打つのがとても簡単なのだと。この時、彼は球が遅く見えたり、とても大きく見えてしまうような、そういう「ゾーン」に入っていたんですね。非常に興味深いです。
光岡:私は、バートンも同じような経験をスパーリングの最中などしたことがあるのではないか思うのですが?
バートン:はい。そのことについて一つ自身の経験をお話しさせてもらうと、かつてボクシングのトレーニングに打ち込んでいる時期がありました。ある日、私のコーチが私のところにやってきて、当時ロサンゼルスでベストジムの一つだと言われるところに所属していた選手とスパーリングをする機会を設けてくれたのです。ちなみに、そのジムはボクシングの名所としても有名だったMain Street Boxing Gymというところでした。相手の選手は非常に大柄でヘビー級か、あるいは超ヘビー級だったかもしれません。しっかりとしたボクシングのバックグラウンドを身につけていた選手でした。私のコーチは「オーケー、気楽にやりな。」という風に言っていたのですが、スパーリングが始まるなり、その選手は私をノックアウトする勢いで打ってきて、リング上からロープの外まで吹き飛ばされるぐらいの威力の一撃をもらってしまいました。ノックアウトを狙ってきていたのですね。ただ、その状況から少し回復して、私は相手のことを見た時、突然目の前の動きが全てスローモーションに映ったんです。怪物のような彼のパンチもなんだか大ぶりに見えました。何というか、その時の状況が、フィリピン武術で言うところの「スティック&ダガー7」をしている時の感じとも似ていました。相手の攻撃をブロックして、腕を絡め取るようにして、一撃を加え、相手と再び距離をとると言う一連の流れですね。そして突発的に動いて…一連の動きで入っていき、一度距離をとりました。その後、一度フェイントを入れて相手の鳩尾に強力な一打を入れ、彼が降参する形でそのスパーは終わりました。面白かったのはやはり、相手に強い一撃をもらってしまったあの後の感覚…いったいどんな理屈で全てがスロウになったのか。おそらくですが、非常に優れたファイター達というのは何かしらの方法でそのような状態に入ることができるのだとも思います。
光岡:実は、そのことは私の長年稽古研究のテーマでもあるんです。武術・武道・格闘技に携わるなら、そういうことがどうして起こるのか、また取り組むことができるのかというのは知りたいですよね。優れた技術を学ぶことはできますし、そういうものを身につけていくというのも必要なことではあります。しかし、様々な経験を経て、私にとって最終的にはそういう「ゾーン」や「ある状態」というものにどうしたら入っていけるのか?ということが大きな命題になってきました。そこから長年研究を重ねるうちに、いま私自身が行っている稽古がある種「瞑想的」…英語で言うなら「メディテイティブ(meditative)」な形になりました。実際、やっていることはいわゆるメディテーションのようには見えますが、この稽古方法はメディテーションとは原理的に違うものになるので、一線を引き「観法(かんぽう、Kan-pou)」や「導観法(どうかんほう、Dokan-hou)」と名付けています。これは半意図的に「あるゾーン」や「ある状態」に入って行く稽古方法です。
バートン: それは究極的なマーシャルアートと言えるかもしれませんね。もしそのようなことができるならば、対峙する相手の動きがスロウに見えるようになるわけですから、勝負において先んじることができます。
光岡:そして同時に、これは指導の面においての話ですが、もし習いにきてくれる人たちがそのような物の捉え方を習得し、獲得することができたら、具体的な技術を伝える段階でも、その人の見取り能力や感覚模倣する精度も上がってくるはずなんです。
バートン: 先程の「箱の外側」の話ですね。外側から見るという視点を獲得することで、物事がより鮮明によく見える様になるのですね。
光岡:はい、長年の自身の疑問からその様な探求を行ってきました。先程、バートンのセンスということを話していましたが、こういう面においてもあなたは自身の経験から発見することができる生得的な資質を持ち合わせていたのではないかと思っています。もちろん、タタン・イラストリシモ8のような人物もそうだったのだと思いますし、タタンの動きを見ていて確信もしています。彼が動くとき、間違いなく「あるゾーン」なり、そういう状態に入っていたんでしょう。実際、タタンは目で見るということをしていないですよね。「見る」ということさえせず、なんとなく相手全体を「眺めている」という感じです。なんというか、相手を眺めることで全てが見通せているとでもいうような…。
バートン: まさしくそういう感じですね。「超周辺視野9」とでもいいますか。
光岡:いい表現ですね、超周辺視野ですか。
バートン:昨晩のワークショップで私がお見せしたタタンの動画がありますが、例えばスパーリングをしている時にまず相手の手を打って、次に相手の頭を打って、次に外側の手を打ちに行くということがあると思います。ただ、タタンはこれを一動の中で行っているんですね。手、頭、反対の腕の外側を切るということを切れ目のない流れる様な一つの動作の中で行なっている。しかもそれを、熟練の、自分より遥かに若い使い手相手にやっているわけです。相当速く動いている相手に対してですよ!一つの動きの中で、一瞬に3回も相手を切る。そういうことからも彼がその様なゾーンや研ぎ澄まされた精神状態といったものに入っていたに違いないと思います。
光岡:私もそう思います。
バートン:その様な能力があるならぜひ獲得したいですね。
(003 に続く)
ダン・イノサント:1936年生まれのフィリピン系アメリカ人武術家。ブルース・リーの高弟としてジークンドーの継承・普及に尽力するとともに、フィリピン武術(FMA)、ムエタイ、シラットをはじめとする多様な武術の研究・指導を通じて、現代マーシャルアーツの発展に大きな影響を与えた。
カリ・アカデミー:1973年のブルース・リー逝去後、ダン・イノサント師がリチャード・バステロ師と共に設立したスクール。当時まだ広く知られていなかったフィリピン武術(カリ/エスクリマ/アーニス)の普及と継承に尽力した。その後、現在の「Inosanto Academy of Martial Arts」へと発展し、ジュン・ファン・グンフー、ジークンドー、フィリピン武術に加え、シラット、ムエタイ、ブラジリアン柔術などを体系的に教授する国際的な研究・教育拠点となっている。
リチャード・バステロ|Richard Bustillo, 1942–2017:フィリピン系アメリカ人の武術家。幼少期からボクシングや柔道、空手などを学び、1960年代にブルース・リーへ師事し、直弟子としてジークンドーおよびジュン・ファン・グンフーの普及に尽力した。1973年にはダン・イノサントとともに「カリ・アカデミー」を設立し。その後、IMB Academyを主宰し、多くの後進を育成した。
中井祐樹:北海道生まれ。七帝柔道で培った寝技を基盤にシューティング(現・修斗)へ進み、1994年にアマチュアシューティング大会で王座を獲得。同年、プロ転向し修斗ウェルター級王座獲得。1995年のVALE TUDO JAPAN OPENに出場、1回戦のジェラルド・ゴルドー戦で右目を失明しながらも勝ち上がり、決勝にてヒクソン・グレイシーと対戦する。1997年にパレエストラ東京(現・パラエストラ東京)を設立。現在、日本ブラジリアアン柔術連盟会長、パラエストラ東京代表。
甲野善紀:1949年東京生まれ。武術を基盤とした身体技法の実践研究者。1978年武術稽古研究会、松聲館を設立(2003年に発展的に解消)。その独自の研究から生み出された技や術理は、武術界のみならず、さまざまなスポーツ、楽器演奏、介護、工学、農業など多くの分野から注目され、影響を与えており、従来の身体の使い方とは異なる観点から様々な景子方法、指導法の実演・提案し、日常の動作に至るまで、その技が幅広く応用されている。
テッド・ウィリアムス:1939年から1960年までボストン・レッドソックスで活躍したアメリカの野球選手。メジャーリーグ史上屈指の打撃技術を持つ左打者として知られる。1941年には打率.406を記録し、近代メジャーリーグで最後の4割打者となった。卓越した選球眼、打撃フォームの分析、科学的なアプローチによって打撃理論の発展にも影響を与え、引退後も多くの打者に影響を与えた。
スティック&ダガー:フィリピン武術における代表的な武器術の一つであり、長い武器と短い武器を同時に扱う技法体系である。一般に「Espada y Daga(エスパダ・イ・ダガ)」という呼称で知られ、片手に棒、もう一方に短剣を持ち、打撃・刺突・防御・制圧を組み合わせた高度な間合い操作を特徴とする。
タタン・イラストリシモ|Antonio “Tatang” Ilustrisimo, 1904–1997:フィリピン・ビサヤ地方出身の武術家であり、20世紀を代表するカリ/エスクリマの達人の一人である。若年期よりフィリピン各地の武術を学び、船乗りとして東南アジア各地を巡る中で実戦経験を重ねる。晩年、マニラでKalis Ilustrisimoと呼ばれる独自の体系を指導し、その実戦性の高い技法は現在でも世界的な評価を得ている。Tatang(タタン)は、フィリピン、とくにビサヤ地方やタガログ語圏などで使われる男性への親称(愛称・敬称)を指す。
超周辺視野:視線を一点に固定した状態である中心視野ではなく、「視野の周辺部にある対象や動きを認識する能力を高度に発達させた状態」を指す。武術・武道、スポーツ、舞踊、身体操作等の分野では、相手を直接凝視せずに全体の状況を把握する能力として重要視されています。
バートン・リチャードソン
1962年アメリカ、ロサンゼルス生まれ。1979年より武術の道に入る。幸運にも生涯で初の稽古をリチャード・バストロ師父、そしてダン・イノサント師父によるオリジナル“Kali Academy”(現イノサント・アカデミー)から始める。ジークンドーを始め、武術の稽古・研究のために世界各国を旅し、フィリピンのマニラではグランドマスター/アントニオ・タタン・イラストリシモ、トニー・ディエゴ師、クリストファー・リケット師の下で稽古を重ね、タタンより「カリス・イラストリシモ」の指導資格を得る。ペンチャック・シラット“Bukti Negara”を創始者であるポール・ディ・トゥアース師の下で学び、修得。ムエタイをアメリカに普及させた先駆者であるアジャン・チャイ・シリスデから学ぶ。ブラジリアン柔術においては、マチャド兄弟、カーウソン・グレイシー、バレット・ヨシダ、ヘナート・ヴェリッシモ、マルセロ・ガルシア…らの名手の元を訪ね稽古を重ねる。「棒術」に関する探求のために、南アフリカを訪れズル族の村に長期にわたって滞在し修得する。Jeet Kun Do Unlimited代表。多岐にわたる経験から、民間・公的機関において武術・セルフディフェンス・競技格闘技の分野で指導活動を行っている。
JKD Unlimited 公式サイト:https://jkdunlimited.com
Instagram:@jkd_unlimited
光岡 英稔
1972年、岡山県生まれ。7歳で親とアメリカのカリフォルニア州に渡り自給自足に近い環境で育つ。11歳で日本へ帰国し空手、柔道、古流柔術、合気柔術、剣術、中国武術、気功などを学ぶ。19歳で武術指導のためハワイへ渡米し現地の武術家達への指導と交流をする。2000年に帰国、日本で武術指導を始める。2003年2月、中国武術の精髄といわれる意拳を創始した王向斎の高弟であった韓星橋先師と、その四男である韓競辰老師に出会い日本人初の入室弟子となる。日本における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を会長として任されるが、2025年12月に辞任。2012年から『文化の実践としての武の探究』を深める為に国際武学研究会を発足。2026年からは日本、中国、沖縄、東南アジア、アメリカ、ポリネシアなど世界各地の伝統武術、伝統武具の用い方、各流派・体系の身体観と文化の関係性などの研究と指導が活動の中心に後進の武術指導を行う。国際武学研究会 代表。
国際武学研究会 公式サイト:https://bugakutokyo.blogspot.com
Instagram:@heihobugakukenkyukai
















