001 | 言語、文化、マーシャルアートの交差点
Language, Culture × Martial Arts
”マーシャルアート”という分野において数十年に渡り、稽古・研究・指導活動を重ねられてきたバートン・リチャードソン先生と光岡英稔先生。この世界を全く異なる経歴、道筋を歩まれてきた、長年の友人でもある二人の武術家・武術研究者による対談、その内容を4回に渡る連載でお送りします。
本対談は2025年12月に開催のワークショップ、バートン・リチャードソン師によるフィリピン武術・カリス・イラストリシモの世界の開催の折に行われました。
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光岡:ちょうど、バートンが来る前に森田さんと話をしていました。今回のワークショップ開催にあたって、彼は非常にいい仕事をされたと思います。このような活動をしたり外に向けて発信していく若い世代の人というのがこれから必要ですね。
森田:ありがとうございます。
バートン:そうですね。そのような取り組みは「マーシャルアート的」であるとも言えると思います。あるいはより良い比喩としてウエイトリフティングが挙げられるかもしれません。指導者として生徒に対し何をすべきかという方向性を示すことはできますが、実際にウエイトを持ち上げるのは…。
光岡:その人自身がやらなければ何にもならない。
バートン:はい、その人が自身がやらなければならないわけです。他に方法はありません。
光岡:そう、それ以外に方法はないです。そのことはどんな稽古、練習、修練についても言えると思います。現代は、情報というものが手に入れやすくなっていますが、「見たことがある」というだけで、「知っている」と思い込んでしまうということが多々あると思います。けれど、例えば実際に武術の稽古で知ってるはずのことをやってみたりすると…「あれ…?」「どっちの手を動かすんだっけ」みたいになることが多々あります。
バートン:それは言葉についても同じようなことが起こりますね。例えば、ある家族で、両親がある国の言語を話す人なのだけれど、子供はその言葉が話されている所とは別の土地で育ったケースがあるとします。その言葉がポルトガル語だったとして、子供たちは親が普段使っているポルトガル語を聞き慣れているので、何を言っているかはわかるようになる。けれど、自分で話そうとすると話せない…というようなことが起こったりする。言語や言葉を「受け取ること」と、実際にそれを使って自分で「表現すること」は全く異なります。
光岡:そうですね。実際に私たちが何かを「聞く」場合と「話す」時では身体的、感覚的にも、また脳の中でも全く違う所を用いてます。そのように脳、身体、感覚において「聞いて理解すること」と「喋ること」は全然違う能力であることが知られてます。
バートン:はい。一例ですが、自身の経験としても面白いことがありました。ポルトガル語に関することなのですが、かつて自分にはポルトガル語がそれなりにできる時期があったのですが、それから暫く使わなくなってしまっていたんです。ある時、ブラジリアン柔術1のマルセロ・ガルシア2とタイのバンコクに行くことがあり、試合を控えていたジオゴ・ヘイス3やトレーニングキャンプに集まっていたブラジル人柔術家たちに囲まれながら時間を過ごすことになりました。そういう環境ではポルトガル語が自然と聞こえてくるし、耳に入ってくる。なので、自分も思い出しながら何か話そうとするのですが、なかなかできなかったんです。ただ、次の日の朝起きると、突然またポルトガル語が話せるようになっていたんです。それから、すぐにマルセロに会いに行き『昨日は話せなかったし、何の単語も浮かんでこなかったのに、今日になったら話せるようになっているし、単語も思い出せるようになっていたんだ。』と、ポルトガル語で話したのですが、マルセロは目を見開いて驚いていました。というのも、私達は物事や経験というのが人間の頭の中にどう存在していて、それにどうやってアクセスするかという様な話題についてついこの間、話をしていたのです。
光岡:言語学の研究の分野においては、言語というものは人間の脳の中にのみ存在するという人々がいますね。これは言い換えると、言語に相当する、ある特定のパターンのようなものが頭の中に存在するということで、ノーム・チョムスキー4を始めとする生成文法派の言語学者達が立っている理論的立場でもあります。しかし一方で、言語というものは文化的なものであると主張する人達もいます。チョムスキーのような生成文法派の一部の人達はこの言語が文化的なものであるという主張を否定するんですね。私はこれはどちらも理にかなうところがあると考えており、両者の立ち位置や意図、向かおうとしている方向性が理解できると観点や視点のズレと前提の違いが理解できると思います。その上で、チョムスキーが言語は文化に依存しないと主張する理由は、彼のツールによるところがあると考えています。チョムスキーには当時の言語学界を揺るがした大きな言語学理論があるのですが、その一つに「生成文法」5というものがあります。そして、その「生成文法」を成り立たせている前提が「普遍文法」6です。これは簡単に言えば、人間の中には、個人の人種や文化背景、遺伝的傾向に関わらず、「誰もが生得的に何も書かれていないホワイトボードを持っていて、それが個人の人種性、文化背景、遺伝的傾向とは関係なく如何なる言語をも書き込む能力を誰もが兼ね備えてる」といった考え方です。彼が言語は文化に依存するものではないという理由は、そのような所に根拠があると私は理解しています。
例えば、ある人は遺伝子的には日本人であったり、イギリス人であったり、またその他の民族や文化的背景でもいいのですが、その人たちの子供が自国を離れて異国に行き生まれ、そこの新たな言語を学ぶことができるということは遺伝的傾向や文化背景とは異なる言語を習得することができる訳です。言い換えると、どんな人でもホワイトボードは真っ白な状態にあり、そのホワイトボードを使うことを通じて、どのような言語でも習得することができるわけです。だから、言語は文化的なものではなく人間の内面に普遍的にある文法構成要素だと主張するわけです。
バートン:なるほど、私たちの中にはホワイトボードがある…。
光岡:誰もが内面にそのようなホワイトボードを持っていて、自分が遭遇する如何なる言語をそのホワイトボードに書き込むことができる。彼がこの着想を得たのは1950年代の時でした。それまでは、言語とは構造主義7的な文化背景によるものであるというのが言語学界の通説でした。チョムスキーはまた、アメリカを例に挙げ、アメリカに住む人は世界の様々な地域から集まった多様な民族であるけれど、共通して英語を話すことができるという観点から、自身の理論が有効であると主張します。
バートン:つまり、それは言語とは一種のメカニズムに過ぎないという考えですね。
光岡:はい、メカニズムとして捉えるということですね。けれど、後になって彼やチョムスキー派の一部の人たちは「言語は文化的ではない、文化とは関係ない」とまで言いはじめ、自身の論であるリカージョン8と変形生成文法9に当てはまらないピダハン語10のような言語は間違っていると主張し、ピダハン語の存在自体を否定し始めるんです。ここにはピダハン語のようにチョムスキー派が主張するリカージョンがない言語などが実際に存在するという現実と矛盾が生じてしまいますが、全ての言語はその言語の属する文化をベースとしているという事実はあるわけなので、そもそもの前提を見落としているように見受けられます。
「文化とはそもそも矛盾するものである」という、大前提が抜け落ちた理論になってしまうことは学術の世界では珍しくなく、論と理を立てようとした時に、自らが立てた論と理に引き寄せて、その色眼鏡やフィルターから物事を見ようとしてしまいます。けれど、前提としての文化を否定することは人間には出来ないはずで、どの人間も何かしらの文化に関わってそこに存在している訳で、何らかの文化を持たない人間は存在しません。無論、多文化はあり得ますし、自身の関わる文化に無自覚の場合などもあり得ます。けれど「日本文化が無かったら、そもそも日本語という言語がしうるのか?」、「インドネシア文化無き、インドネシア語は存在するのか?」という単純かつ普遍的な問いが残る以上、「前提としての文化の存在」を避けることはできないと思います。たとえば言語学を研究している言語学者ですら彼、彼女はいずれかの言語を自分の外的規範として置き、その言語を用いて言語を研究します。そして、その個人が無自覚、無意識に身に付けてきた言語は、その文化圏で形成された言語体系であり、その背景が無い言語は存在しません。
バートン:たしかに、言語には文化的側面というものが存在しますね。だとするとこういう言い方もできるかもしれません。「ここにあるホワイトボードがあるとします。それではインドネシアの人が作ったホワイトボードの方はどんなものか見てみましょう。それはある見た目や形をしているはずですが、同じ見た目や形ではない」というような感じでしょうか。
光岡:その通りだと思います。言語におけるイノベーションとは文化性を理解する上で非常に興味深いものがあります。個人から離れて、文化にアイデンティティ(人格)を与えてみると、言語とは文化にアイデンティティを与えている「それ自体」な訳です。そのような観点を持つと、大前提としての文化性と言語とは不可分であることが伺えます。
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バートン:思うのですが、これって武術についても同じことが言えるのではないでしょうか。
光岡:その通りです!今まさに、そのことを話そうと考えていました。
バートン:実は、いつも興味深いと思っていることがありまして。どんな国や地域でもいいのですが、ナイフを持った二人が互いに憤り、今にも戦闘になりそうな状況があるとき、両者の間には、ある距離感やリズム感、牽制の仕合などが見られるわけです。おそらく、今までにナイフの練習などをしたことはないにも関わらず、このようなやり取りが勝手に行われるのですね。私が興味深いなと思うのは、例えば進化論の分野の話では、ある種の人間のもつ傾向や性向というのはDNAに由来するという考え方がありますけれど、人間がナイフを持って、怒って誰かを傷つけようとすると、大半のケースで逆手持ちになり、相手の身体の真ん中の方…胸や胴にある急所を刺しに行くのは何故だろうと思うのです。どうして、腕を切りつけたり、目を狙ったりしないのでしょうか。多くのケースで、怒りに身を任せナイフを振るおうとする時は、とっさに逆手持ちになり、金槌を打ち付けるように相手の急所を刺そうとする形になるのはなぜなのだろうと、不思議に思うのです。
光岡:確かに、そのような取り繕う余裕のない危機的な状況で咄嗟に出てくる人間の振る舞いは、私たちが「学習によって体得したものでない」ということを示す重要なポイントかと思います。
バートン:実際の映像などを見ても98%のナイフでの攻防はそのようになっていると思います。けれど、本当になぜなのでしょうね。私が言いたいのは、彼らは別に解剖学的に「身体のこの部分が致命的になりうる」ということを知っているわけではないのに、生得的にそこが致命的になりうるということをどのようにして分かっているのか?ということです。もし、「どこが致命傷になりうるか?」ということを誰かに聞いてみて、冷静に論理的に考えてもらうと「あぁ、それは明らかに首だね」というような回答が返ってくることはあります。確かに、それは正しいのですが、実際の状況ではそのような知識がないにも関わらず、咄嗟に相手の急所を狙うのはどうしてなのかと思います。もしこれが進化の過程における理由だとするなら、人類の祖先の中で刃物を逆手に持った人たちは生き残り、そうでなかった人は淘汰されたというような言い方になるのでしょうけれど、そんな進化論的淘汰圧というようなものがあったとは思えないのですよね。むしろ進化以前の、非常に生得的なものではないかと思っているのです。
光岡:私もそう思います。と同時に、武術的な動きというものについて考えてみると、例えば、日本武術では槍術においては槍は端を持って突くようにして用います。これは中国武術にも共通して見られるものです。けれど、ポリネシア地域の槍の技術に目を向けると、槍の柄の端ではなく、中央部分を持ち両端が使えるように用いることが主です。これを一つの文化的振る舞いとしてみるとき、舟を漕ぐ時の櫂の使い方が…。
バートン:なるほど、その通りですね。
光岡:これらの地域における、カヌーの漕ぎ方の動作というのが、両端を用いる持ち方や使い方と一致しているわけです。ただ、日本ではカヌーを漕ぐ動作に当たる漕ぎ方はなかったので、自然とそれと同じ動作を使った槍術は生まれません。
バートン:そうなのですか?では、どんな動作とパターンが一般的だったのでしょうか?
光岡:京都で保津川下りなどに見られる船を操作する方法ですが、これは比較的浅い川底を長い棒で刺しながら舟を動かす方法です。日本では比較的浅い川で船を進めることが少なくないため櫂の端側を持って川底につけることで舟を操舵します。この方法は東南アジア地域でも一部見られると思いますが、いわゆる「漕ぐ」とは別の方法です。もちろん日本にもオールを使って漕ぐ方法もありますが、それもポリネシアのカヌーとは大きく異なります。
バートン:確かにそうですね。
光岡:はい。この漕ぎ方はおそらく人類が最初に舟や筏(いかだ)を漕いだ方法ではないかと思います。あまり深い所は行けませんが実際、川底を突いて押したりすることによって舟を操ります。他にも「漕ぐ」方法は日本にもあるのですが、これは人類史的には後になって出て来たものかと思います。話を武術に戻すと、例えば日本において槍が使われる理由は農民から武士になった身分の低い武士によって槍が用いられてたからです。日本では実際多くの農民が武術の稽古をしていました。そのため、農業の季節には農業に専念し、互いに農業の季節でない時に戦を国と国との間で戦をしていました。
バートン:非常に面白いですね!
光岡:もし、収穫を得ることができなければそれは互いの国にとって不利益になることをわかっていたので、もともとは互いに季節と季節の間に戦さをしていました。
バートン: 知っているかもしれませんが、古代のハワイにおいては「マカヒキ」と呼ばれる季節がありました。これは収穫祭と休息のための季節で祭事などが行われていました。キャプテン・クック11が初めてハワイにやってきたのもちょうどこの季節で、ハワイアン達はレスリングやボクシングなどに賑やかに興じていたんです。けれど、キャプテン・クックが2回目にハワイを訪れたときは運悪く戦争の季節と重なっていて、そこで巻き込まれて命を落としてしまうのですね。
光岡:最初に行った時は「いいヤツらだと思っていたのに!」だったけど、ただ一回目が戦さのシーズンじゃあなかった訳ですね(笑)。キャプテン・クックにとっては不運なことでしたが、ある文化圏に入る時には、相手の文化をよく知っておいた方がいいことを示す良い例ですね。また、話は武術に戻りますが、日本や中国では鋤や鍬のような農具がありますが、この時の身体の使い方が、槍術や剣術の動きと相似性があります。毎日のように畑仕事として日常的にこのような動作を行なっている人が、ある日、突然剣を手にしたらジャングルで鉈を振うように剣を振ったりするとは思えませんし、逆に日常的に鉈を使うことに慣れている人が、いきなりサムライのように両手で剣を持って構えたり、日本槍術のような持ち方や鍬、鋤、シャベルを使う動作などもしないでしょう。同じ「槍」と言う武器にしても、ポリネシアなどでは櫂(オール、パドル)を漕ぐ時の持ち方や動きと槍の使い方は同じで、農耕民族が戦う時は鋤やシャベルを使う時と同じように槍を用いるでしょう。
バートン:あれは1996年の頃だったと思うのですが、南フィリピンにいたとき、車でダバオからミンダナオに向かって長距離で移動することがありました。道を歩いているたくさんの人の横を通り過ぎるのですが、今でも覚えているのが、どの人もボロを持っていたことです。ボロは農具として彼らの日常的な携帯品で、剣を使うことはありませんでした。だからいざ実戦になると、その動作は米だったり収穫物を刈り取るような動きがベースになっていたのですね。
光岡:ボロ・ナイフを毎日振り何かを切り、日常的に慣れ親しんでいる動作だけに上手くなるんですね。
バートン:確かに毎日のように繰り返すわけですものね。当時、6歳くらいの小さな女の子でしたが、そんな子供でさえ小さな鉈を抜き身の状態で携帯しているのを見たのを思い出しました。みんな鞘に入れておくのではなく抜き身で持っていましたね。ちなみに彼らの言葉に「武装していない社会は上流階級社会である」という言葉があります。一方でまた面白いのは、あれはミンダナオの中部での出来事です。地元の警察の署長の方に会う機会がありました。非常に紳士的で、フレンドリーな方だったのですが、お話の流れでこの地域の刃傷沙汰というか、その類の話になったことがあって、彼に「刀での戦いみたいなものは、まだ時折起こるものなんですか?」と聞いたのです。すると彼は「あー、はい、あるある、ありますね!私たちは『ハッキング』と呼んでるんですが、『あぁ!あそこでハッキングやっているぞ!』みたいな感じで言います。」と。それで、「そういうことってよくあることなんですか?」と聞いたら、「いやいや、そんなことはありませんよ!一週間に一回くらいです。」と(笑)。
光岡:毎日ではないと(笑)。でもそんな小さな地域で、週に一回も刃傷沙汰が起こる。そのエピソードは少しハワイを思い出させますね。「喧嘩に巻き込まれることってあるの?」聞いたら、「いや、そこまででもないよ。一週間に一回、週末が多いかな。週日の日はないよ。」と。に、似た心理を感じますね。
バートン:そういうことも含めて日常性、普段の仕事という観点は非常に面白いですね。カヌー漕ぎであったり漁であったり、海や川、内陸的なものもあるわけですが、こういった日常的に繰り返している動きというものが、そのまま武術的な動きへと転用されるのですね。
光岡:はい。他にも、ハワイのサモアン12達は火おこしをするのに、非常に大きな木の塊のような道具を使っていました。おそらく、以前に見たことがあるのではないかと思いますが、この道具を使って摩擦によって発火をしてましたが、これは彼らが椰子の木を登って椰子を取る時の登り方と力学や力の用い方が同じなんです。
バートン:あぁ、なるほど。
光岡:まさしく、彼らが実際の戦闘においてしている動きと同じなわけです。つまりこのことから、武術、武道、格闘技…ということ以前に、個々の属する文化における普段の営みや振る舞い、日常動作というものの一部としてあると言えます。日常的に慣れ親しんでいるわけですから、いざ戦わなければいけないとなった時も、その延長で身体の動きや心境ですら其処から出てくるわけです。そしてそこから様々な武術の流派・体系が発展していったのですね。
バートン: まさしくその通りですね。その話からブルース・リー13のことを思い出しました。彼は革新的な武術家でした。ボクシングのスタンス、フィンガージャブ、ローサイドキック…これらの動きはいわゆる普通の動きではありませんし、それぞれが別の武術の体系に属するものなんですね。けれど、それらの技術をボクシングやフェンシングの持つ構造に結びつけ統合していったわけです。これは生得的な領域というものの外側で思考することのできる人間がなし得るイノベーティブなことだと思います。
光岡: それにはブルース・リーのバックグラウンドが関係していると思います。ご存知の通り、彼のベースとなっているのは中国武術ですよね。
バートン:はい。
光岡:なので、彼は中国武術というものを自身の理想とする形へと変革したいという思いがあったかと思います。昨晩、バートンのワークショップを見ていて、「バートン師範はカリス・イラストリシモ14という体系を非常に深く理解されている」と感じました。ある動きの説明で、「ここで手を引かない」と言ったときジュンファングンフー15のストレートリードと同じだと思いました。ストレートリードにおいても、こう、手を引くことなはく直接的に相手に向かっていきますよね。その身体の使い方というのがイラストリシモの動きとも非常に似ていると思いました。
バートン:それは自分にとっても非常に興味深い点です。というのも、自身のストレートリードに対する理解が深まれば深まるほど、これはまさしくイラストリシモと同じじゃないかという実感があるのです。あの距離感を実現するためのサイドステップと身体の回転…。けれど、なぜそうなのか?という疑問も感じました。何故、ジークンドー16とカリス・イラストリシモは多くの相似性を持っているのだろうと。そう考えていくと、ジークンドーがフェンシングを取り入れていることで剣術的な要素を内包していることが理由なのだということが見えてくるんです。
光岡:まさしく、ちょうど「そうか」と、そのことを考えていました。西洋の剣術の技術が東洋の武術と融合した時に起きる化学を彼らには感じます。
バートン:その点において、ブルース・リーはある種の絶対的なものを見出したのだと思います。この要素はフェンシングと詠春拳17にも共通している。なので、ブレンドすることができる。
光岡:手を引かず、ただ真っ直ぐと入ること。この点がフェンシングと詠春拳の両者に見られる相似性だったわけですね。
バートン: はい。そしてそれだけでなく、フットワークや戦略的な要素をフェンシングから、サイドステップなどの要素をボクシングから取り入れていき、統合していくことで、素晴らしい体系を作り上げていきました。しかし同時に、ブルース・リーは体系という枠組みに囚われる人物でもなかったのですね。ジュンファングンフーというのは、見た目としては非常に詠春拳に似ているとは思うのですが…。
光岡:ブルース・リーは中国武術がベースでしたが、それが彼のバックグランドであり、やはり基礎になっていたかと思います。自分の文化、文化風習が基礎としてあることはその人に取って顕在的にだけでなく潜在的にも自信になります。そこにどのような変化を与えようとも、何かを加えようとも、自分のベースが崩れる心配はありません。それゆえに「そこに何を加えても大丈夫」と言った感覚から色々と加えイノベーションが出来たのではないかと思います。そう考えると納得がいきます。
バートン:中国武術の世界以外の人達とスパーリングをするようになって彼自身が気がついたことがあるのです。彼は友人のウォン・シュン・リョン18に宛てた手紙の中で次のように述べています。「防具をつけてレスラーやテコンドーをしている人達とスパーリングをやってみて、自分が沢山の偏見を持っていたことがわかった。そしてその偏見の多くは間違いだった」と。つまり多くの使い手とのスパーリングを通じて彼は詠春拳の限界を感じたのだと思います。けれど、そこから自分なりのやり方で、こういった相手にも通用する術を発展させていったのですね。この対談の前、昨日の夜ですが自身の収まっている箱、あるいは枠組みの中から出ることの重要性について2人で話をしていましたが、それができるようになるためには昨日、光岡先生が仰っていたように基礎や素養としての「箱」、「枠組み」の存在がなければならないという前提がありますよね。先程のブルース・リーの話はその話とも通じるかと思います。(続)
ブラジリアン柔術:日本の柔道を源流とする組み技格闘技。20世紀初頭、柔道家の前田光世がブラジルで柔道・柔術を伝え、その技術をカルロス・グレイシーやエリオ・グレイシーらが発展させ成立。打撃ではなく組み技、とりわけ寝技を重視し、体格や腕力に頼らず、ポジショニング、関節技・絞め技によって相手を制圧することを特徴とする。
マルセロ・ガルシア:1982年ブラジル・ミナスジェライス州生まれのブラジリアン柔術家。“グラップリングの最高峰”と呼ばれる ADCC世界選手権 にて4度の世界王者 に輝き、IBJJF世界選手権でも 5つの王座 を獲得。2023年、胃がんの診断が下されたが、一年間に及ぶ闘病生活を乗り越え復帰。現在はハワイに新たなアカデミーを構え指導にあたるほか、ONEチャンピオンシップの舞台で活躍。
ジオゴ・ヘイス:ブラジル・マナウス出身のブラジリアン柔術黒帯、サブミッショングラップラー。爆発的なスピードとその技法の極めの精度の高さから、“ベイビーシャーク”の愛称で知られる。現代グラップリングを象徴する存在として世界中から注目を集めている。
ノーム・チョムスキー:アメリカ合衆国の哲学者、言語哲学者、言語学者、認知科学者、論理学者。マサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授兼名誉教授。
生成文法:チョムスキーによって提唱された言語学の理論。人間の言語能力を、有限の規則や原理から無限の文を生成する明示的な形式体系として捉え、その体系を記述・説明することを目的とする。現代の認知科学やAI研究の基盤にも大きな影響を与えている。
普遍文法:チョムスキーによって提唱された、「全ての人間は(特に障害がない限り)生得的に普遍的な言語機能 を備えており、全ての言語が普遍的な文法で説明できる」とする理論。生成文法における中心的な概念となっている。
構造主義:人間の言動や文化、社会現象は個人の自由意志ではなく、その背景にある、見えない規則やシステム(構造)によって決定づけられると捉える思想。20世紀半ばに言語学から始まりフランスで発展、人文・社会科学に大きな影響を与えた。
リカージョン:「再帰性・回帰性」。ある規則や構造の中に、その規則や構造自身が再び含まれる現象。チョムスキーの生成文法において、有限の単語と規則から無限の文を生成できる中核的な仕組みとして提唱された。
変形生成文法:チョムスキーによって提唱された言語学理論。人間が有限の単語と規則から無限の文を生成できる仕組みを生得的な脳のシステム(普遍文法)と捉え科学的に解明しようとする。「生成文法」が言語の仕組みを解明する大きな枠組みを指すのに対し、「変形生成文法」はその中で文が作られる過程を「変形」という操作を用いて説明する具体的な理論・モデルを指す。
ピダハン語:ブラジルのアマゾンの先住民族「ピダハン族」が話す言語。数の概念がない、時制がなく、抽象語の欠如(色を表す固有の単語がない等)、文法における「リカージョン」(再規性)を持たない等の特徴で知られている。チョムスキーの立脚する普遍文法(人類の言語には共通の生得的な基盤があるという理論)」を覆す例として論争を引き起こす。
キャプテン・クック:18世紀に3度の太平洋探検航海を成功させたイギリスの海軍士官・海洋探検家。ハワイ諸島の発見やオーストラリア東海岸の到達などを達成。
サモアン:南太平洋のポリネシアに位置するサモア独立国、またはアメリカ領サモアに文化的ルーツを持つ民族集団。屈強な体格で知られ、スポーツ選手やプロレスラーを多く輩出している。
ブルース・リー:1940年11月27日米サンフランシスコ生まれ。香港出身の俳優、脚本家、映画プロデューサー。ジークンドーを創始したマーシャルアーティスト。本名は李振藩(リー・ジュンンファン)。
カリス・イラストリシモ:20世紀のフィリピン武術家アントニオ・‘タタン’・イラストリシモとその弟子により体系されてしたフィリピン武術の体系。刀剣術を基盤とし、ナイフやスティック、素手の技術へと応用させる技術体系を持ち、‘タタン’・イラストリシモ本人の実戦経験をベースとするクリティカルな技法を特徴とする。
ジュンファングンフー:ブルース・リーが創始し、アメリカで最初に開いた道場「振藩国術館」で教えた武術。伝統的な詠春拳をベースに、他の様々な武術のエッセンスを取り入れて体系化した。
ジークンドー(截拳道):1960年代にブルース・リーがジュンファングンフーからさらに発展させ創始した体系と哲学。オープンフィンガーグローブ、キックミット、キックシールド等の練習用具を考案・開発する他、スパーリング等、実戦性を重視した稽古体系を取り入れる。
詠春拳:中国南部で発展した中国武術(南拳)の一流派。起源には複数の伝承があるが、清代に成立したと考えられている。近距離戦を想定した技術体系を持ち、直線的な打撃、中心線の制御、体格差を補う構造的な力の使い方を特徴とする。20世紀には葉問(イップ・マン)の下、ブルース・リーが若い頃に学んだ武術としても広く知られている。
ウォン・シュン・リオン(黄淳樑):香港の詠春拳の使い手。詠春拳におけるブルース・リーの「実質的な師匠」であり兄弟弟子として知られる。葉問の直弟子であり、若き日のブルース・リーに影響を与える。
バートン・リチャードソン
1962年アメリカ、ロサンゼルス生まれ。1979年より武術の道に入る。幸運にも生涯で初の稽古をリチャード・バストロ師父、そしてダン・イノサント師父によるオリジナル“Kali Academy”(現イノサント・アカデミー)から始める。ジークンドーを始め、武術の稽古・研究のために世界各国を旅し、フィリピンのマニラではグランドマスター/アントニオ・タタン・イラストリシモ、トニー・ディエゴ師、クリストファー・リケット師の下で稽古を重ね、タタンより「カリス・イラストリシモ」の指導資格を得る。ペンチャック・シラット“Bukti Negara”を創始者であるポール・ディ・トゥアース師の下で学び、修得。ムエタイをアメリカに普及させた先駆者であるアジャン・チャイ・シリスデから学ぶ。ブラジリアン柔術においては、マチャド兄弟、カーウソン・グレイシー、バレット・ヨシダ、ヘナート・ヴェリッシモ、マルセロ・ガルシア…らの名手の元を訪ね稽古を重ねる。「棒術」に関する探求のために、南アフリカを訪れズル族の村に長期にわたって滞在し修得する。Jeet Kun Do Unlimited代表。多岐にわたる経験から、民間・公的機関において武術・セルフディフェンス・競技格闘技の分野で指導活動を行っている。
JKD Unlimited 公式サイト:https://jkdunlimited.com
Instagram:@jkd_unlimited
光岡 英稔
1972年、岡山県生まれ。7歳で親とアメリカのカリフォルニア州に渡り自給自足に近い環境で育つ。11歳で日本へ帰国し空手、柔道、古流柔術、合気柔術、剣術、中国武術、気功などを学ぶ。19歳で武術指導のためハワイへ渡米し現地の武術家達への指導と交流をする。2000年に帰国、日本で武術指導を始める。2003年2月、中国武術の精髄といわれる意拳を創始した王向斎の高弟であった韓星橋先師と、その四男である韓競辰老師に出会い日本人初の入室弟子となる。日本における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を会長として任されるが、2025年12月に辞任。2012年から『文化の実践としての武の探究』を深める為に国際武学研究会を発足。2026年からは日本、中国、沖縄、東南アジア、アメリカ、ポリネシアなど世界各地の伝統武術、伝統武具の用い方、各流派・体系の身体観と文化の関係性などの研究と指導が活動の中心に後進の武術指導を行う。国際武学研究会 代表。
国際武学研究会 公式サイト:https://bugakutokyo.blogspot.com
Instagram:@heihobugakukenkyukai


